自己満足万歳




どーも、ともんもです。

昨日、某居酒屋にて酒を呑んでいる最中に静岡県東部で地震があった。
地震速報が居酒屋内のテレビで流れた直後、決して大きくはないが確かな揺れを感じた。

原子力発電所の一件もあってか、地震の後すぐに取り上げられたのは「浜岡原発は異常無し」という言葉だった。
今誰しもが抱いている不安、TV局も当然まず取り上げるべき話題がわかっている。



最近、ちょうどそれと近い小説を読んでいる。「天空の蜂」なるその小説は、あるテロリストが大型のヘリコプターを奪い、それを原発の上に落とされたくなければ日本のすべての原発を停止させろと脅迫する内容である。
自分もまだ半分程しか読み終えていないが、その本の中で原発を停止させたらどうなるだの、災害に対する原発の安全度はどうだの。正直頭の良くない自分にとっては難しすぎる内容だった。
しかし、そんな最中に起きた今回の事件。あまりにもリアルだ。

その小説にはこうあった。
「”原発は何があっても安全だ”と断言して造った人間が、”危ないかもしれない”などとは、よほどの事がない限り言うはずはない」と。
確かにその通りだ。絶対大丈夫、絶対大丈夫、やっぱ危険かも。なんて言えるはずがない。
それに人々の不安や恐怖の事を考えると、知らないほうが良い事だってある。

原発が近く無いという事、原発のことを大してわかっているわけではないという事。
今まで「原発」という言葉に意識をおいて考えた事はない。
放射能が「いかに危険か」という事だって、自分の知識の中では怪しいもんだ。

自分と同じような人間は大勢いるだろう。
被爆したらどうなる?知りませんよそんな事は。

TVでは毎日、放射能の濃度がどうなっただの。濃くなりました、薄くなりました。数値を聞いてわかる人間が一体どれだけいるだろう。

知りたいのは、「危険」なのかどうなのか。

終戦後に次ぐ日本の危機と騒がれてはいるが、正直なところ身近な出来事に感じることができない。
ニュースやラジオ、新聞などで入ってくる情報は、自分で見て体験した事ではない。自分の友人、親戚が被害にあったわけでもない。
自分が過去にそういった天災の被害にあったかというと、まったくない。
静岡県はどういうわけか、地震や台風などの災害が直撃する事が滅多にない。最近めずらしく降った大雪に大騒ぎしていたくらいだ。

「被災者の方、頑張ってください」
「ご冥福を祈ります」

そんな言葉は、自分が言うとあまりにも安っぽい言葉になってしまう。
つまり、それが当てはまる人間は大勢いるという事。
ラジオで流れる応援メッセージ、くさい台詞で励ましのメッセージを並べた後、「この曲を贈ります」でAKB!? なぜ!?

完全な自己満足。

そんな自分も自己満足ではあるが、募金箱に1000円入れた。
たかだか1000円。どこぞの企業は億単位で援助している中で、自分が入れた1000円はあって無いようなものだろう。

だが同じ自己満足でも、被災者の気持ち・苦痛がわかるわけが無いのだから、ヘタなメッセージを贈るよりお金のほうが良いと思う。

お金が一番現実的だ。ちゃんと国が効率的な支援へまわしてくれる。

さて、今回の日記に限り、タイトルを決めずに書いている。
話の内容は二転三転。グチなのかなんなのか、だらだらと長い文章になってしまった。

よって、タイトルと共に締めの一言。


百見は一触にしかず。

知らぬなら、知った口を聞くな。

ならばこそ、自己満足万歳。


以上。

0 コメント:

コメント